思い ― 建築に関すること


・このページは建築に関する私の思いや考えなどを記述しているページです。


・設計にあたっての基本的なスタンスとして、“肩に力を入れすぎず、手を抜かず”をモットーに、依頼者・建主と常に“対話”することを心がけています。

また、“変わっていくこと・変わるべきこと”に着目しそれらを提言していくことも大変重要なことですが、“変わらないこと・変わるべきでないこと”にもしっかりと着目していきたいと考えています。


毎日新聞に掲載された紹介文です

「眉間にしわを寄せて語るのは好きじゃないし、『作風』を持ちたいとも思わないんです」||。「地井さんにとって建築とは」と尋ねると、拍子抜けするような答えが返ってきた。施主によって違う要望を聞きながら、形をつくっていくのが仕事だと説明する。
 昨年夏、安佐市民病院(安佐北区)近くにオープンしたお好み焼き店の内装を手がけた。天井の配管は、周囲のコンクリートに近いセメント素材の板で隠し、周囲の壁は目立たない白一色で統一した。「建築として、強く主張し過ぎないように、余計なことをしないようにと考えた」と話す。
 店を経営する山下勝也さん(40)は、バリ島で買い付けてきた布地やお面を壁に飾り、床には自ら絵を描いて雰囲気を出している。「思ったような感じに仕上がってきました」と山下さん。設計者というよりも施主のし好が、空間演出の前面に出ている。
   ×  ×
 地井さんは、小中学生時代を広島市、高校時代は父親が転勤した金沢市で過ごした。早稲田大に進み、東京の設計事務所に就職。バブル最中の華やかなイメージとは裏腹に、こつこつと模型づくりに取り組む毎日だったが、小規模な仕事でも頻繁に現場に足を運び、上司とも言いたいことを言い合うような関係の中で修行を積んだ。
 27歳の時、実家のある広島市に拠点を移した。「いつかは帰ろうと思っていたし、Uターンしてから独立するまでの準備期間を考えると、そろそろかなと思った」と振り返る。
 広島市内の事務所に勤務していた97年、三良坂町の重要文化財にも指定されている古い民家の移築を任された。江戸後期に建てられたと言われる家で、屋根はかやぶき、天井の上には防火のため土を盛っていた。柱やはりには曲がった木をそのまま使用。それまでコンクリート造りや鉄骨造りの建物を中心に扱ってきただけに、「想像がつかない世界」だった。
 地元の大工さんの話を聞きながら、苦労して現状を図面化。柱やはりを1本ずつ解体して、移築先で組み立て直した。「家づくりの原点のようなものを感じた。木を生き物として見るようになった」という。
 「それまではコンクリート打ち放しのクールな空間にばかり魅力を感じていたけど、木でつくった温かみのある空間にも魅力を感じるようになった」。興味の幅が、大きく広がった。
   ×  ×
 3年前に独立し、現在は実家の中に事務所を置いている。来月には、いよいよ自前の事務所を佐伯区五日市に構える予定だ。「希望としては、個人住宅や共同住宅で、人が住むことを中心に考えて仕事をしていきたい。緊張感のある空間とくつろげる空間、両方あるような住宅をつくっていけたら理想的ですね」。
 先月には共同住宅のあり方を考える約30人の建築関係者が広島市で設立した「コーポラティブ住宅推進協会」にも参加するなど、活動の範囲を広げている。「肩に力を入れ過ぎず、手を抜かず」をモットーに、本格的な活躍を始めようとしている。 【
毎日新聞 森田真潮


・“Hiroshima21”が出版する雑誌に掲載される紹介文です

家族・住宅という言葉を聞いて皆さんはどのようなイメージを持たれるのでしょうか? 漠然と、「血縁関係の集合体」であり「今後もほぼ同じような形で続いていく」といった感じでしょうか?
しかし、あらゆる価値観が相対化され解体されていく現代社会において、家族・住宅という概念もその相対化の流れから無関係でいることはできません。(子供を中心とした)近代家族という概念も普遍的なものではなく、たかだか200年程度の歴史しかもたないことを考えると、今後家族像も解体されていく可能性を持っています。

また、様々な事柄に対する解釈も多様化してきており、例えばエコロジーの概念にしても、「100年・200年もつ伝統工法住宅」・「10年・20年しかもたないが確実にリサイクル可能な工業化住宅」という一見相反する方向性を持ちはじめています。さらに、本来遺伝子が多様性を前提に機能していることを考えれば、住み手の求める住宅像も多様化するのは当然であり、それにともなって供給する側も多様化します。その意味で設計事務所(建築家)対ハウスメーカー・工務店といった対立の図式も本来は市場原理の中のフィクションにすぎず、住み手にとっては意味を持ちません。

このように価値観が多様化し、情報があふれ、信ずべき手掛りをつかむのが困難なように思われる状況の中で、住み手は自らが求めている住宅(「あるべき住宅」ではなく「求めている住宅」)を発見し、自らの意志に基づいて積極的に選択することが果たしてできているのでしょうか? 私は専門家としてその点が非常に重要だと感じています。
資本主義の原則に従うだけではなく、また自らの価値観を押付けるのでもなく、常に住み手と“対話”することを重視し、「求めていた“栖”である」と住み手が信ずることのできるものを設計していきたいと考えています。


・“建築家”という呼び方に関して

私は将来的にも自分のことを“建築家”とは呼びたくないと考えています。理由は二つあります。
1:日本においては“建築家”という言葉に法律的な根拠は無く、あるのは“建築士”だけである。
2:“建築家”という言葉はその人の生き方・生き様を表したものであり、日本においては“紳士”という言葉と同じ部類の言葉ではないかと思われる。
つまり、周りがどう評価するかという事なのです。“建築家”と呼ばれたい、がしかし自分からは言わない。自分で自分のことを“私は紳士です”とか、名刺の肩書きに“紳士”と書いたりしないのと同じように…


住宅設計に関して

今後の日本社会において最も重要なテーマの一つとなるであろう事に「個と公」(人権・個人と公共・国家)の問題があると思われます。そしてこのテーマはそのまま、小さな社会でもある住宅にもあてはまる部分が多くあるのではないでしょうか。日本の社会は長年「公」を重視した社会構造を維持してきましたが、戦後民主化の流れとともに「個」を重視する社会構造へと変化し、この流れはそのまま住宅の構成(プラン)にも影響を与えてきました。(プランの変化には他の要素もいろいろ有りますが)

しかし、「個」に偏重した社会構造が戦後半世紀以上たった現在様々な形で社会的な歪み(教育問題、犯罪…等)を生み出してきています。確かに携帯電話やインターネット等によって個人が直接社会と結びつく現代ではありますが、というよりも、であるからこそ人間(子供)の成長過程において個―家族―近所(地域)―学校―社会という人間関係の枠組みの適切な段階的発展が必要であると思われます。家族や学校の枠組みを軽視し、いきなり個―社会と結び付こうとするところに無理が生じ、社会的歪みが発生する一因となっているのではないでしょうか。

すなわち、「個人のプライバシー」と「家族のつながり」をもう一度とらえなおす時期がきていると思います。

「個人と家族」の問題はそれぞれの家族によっても事情が異なることもあり、簡単に答えの出せるテーマではありませんが、多くの建主と出会い対話することにより、このテーマに対し個々にできるだけバランスの取れた解答を出していければと考えています。


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